設立時 - 初期 (1907 年~1929 年)
1907
1907 年 3 月、ジョージ・E・パープル、アルバート・B・ビーチ、フィリップ・S・リナルドにより Flexible Steel Lacing Company が誕生しました。初期の製品ラインであるヒンジ式ファスナーはオハイオ州トリードのオロフ・N・テバンダーから購入した特許を使って製造されました。
ジョージ・エドワード・パープルは初代社長として、革新的なデザインと継続的な製品開発における会社のコミットメントを提唱しました。初期にはビジネスのあらゆる側面にかかわったジョージは、頑固で疲れを知らない発明家で、コンベヤベルト技術に関する特許を 19 件開発しました。ジョージは 1930 年にその早すぎる死を迎えるまで社長を務めました。
シカゴの 71 W. Jackson にあった最初の Flexible Steel Lacing 施設は小さな事務所とワークショップを兼ねていました。
1907 年 5 月までに、パープル、ビーチ、リナルドの三者はインディアン特別保護区 (のちのオクラホマ州) のバートレスビルに所在する Western Home Ventilation Company に対し 1 ドル 22 セントの初売上を達成しました。初年度の売上は 5,500 ドルを計上しました。3 人は初期のころから、ディストリビューションを通じた販売にコミットし、最初のディストリビュータの連絡先は 1907 年 11 月に記録されています。
元のテバンダー設計の欠点を克服するために、オリジナルのファスナーはすぐに変更され、取り外し可能な構造で、ベルト両端からループ状にローハイドのヒンジピンで互いにかみ合わせて結合できるものに改良されました。
1909
ジョージ・パープルは改良した逆向き歯型設計を作り、その日付を記録するために、設計図を自分宛に郵送しました。追加の特許として短い第二歯型が加えられ、最終設計が完成しました。この設計は横から見るとワニの開いた口のように見えたことから、…1909 年に発表されてから今日に至るまで Alligator® ベルト レーシングとして知られています。
ジョージ・パープルは再設計された Alligator レーシングの実績のある性能の特質を用いて、タートル ファスナーを開発しました。コンベヤのトラフで使用するための一連のドライブオン プレートとして設計されたタートル ファスナーは、現在でも主にリップ リペアに使用されています。
1915
Flexco が提供する数少ないベルト以外のメンテナンス製品の 1 つに、「Flexco-Lok」と呼ばれる打ち抜き加工の金属ランプ ガードがあります。これは 1950 年代に金属線で作成されるガードに置き換わるまで製品ラインとして残っていました。この製品の最も興味深い用途は、1941 年の真珠湾攻撃の直前に陸軍省によって建設されたリバティー船の生産で使用されたことでしょう。
1919
B.F.グッドリッチ氏は、チリにある露天掘り銅山用に 2 インチ厚のベルトの製作を Flexco に注文しました。この地区では加硫加工ができないため、グッドリッチ氏はメカニカル ベルト ファスナーの用途を特定しましたが、ベルトの仕様を満たすものはありませんでした。1919 年に特許を取得し、圧縮ファスナーとして設計された Flexco® HD® シングル プレート ファスナーは、張力の高いボルトを使用し、プレートを一緒に引っ張りました。このファスナーは、Flexco® ボルト ソリッドプレート 3 番として今でも販売されています。ベルト製造業者とファスナー製造業者間の協調努力は、現在の業界の慣習となる前例を作りました。
1921
1921 年、4607-31 Lexington Street に新工場を新設しました。この建物は 2 階建ての事務所兼 40,000 平方フィートの製造スペースとなっていました。この頃までに Flexco は 79 名の従業員を抱え、17 機のプレスを稼働させ、毎週 30,000 ポンド以上の鋼鉄を消費していました。現在でもこの古い工場はシカゴの Dwight D. Eisenhower Expressway から見ることができます。
1920s
写真は 1920 年代の Flexco セールスマンのサンプル ケースです。こうした早い時期に、Flexco はフィールド セールス担当者を通じて業界内で強固な関係を築きました。1923 年には最初の年次販売会議が開催されました。セールス担当はこの時までに 11 名に増えていました。最初のセールス担当・セールス マネージャーとなったヒュー・コーツは販売会議により、新しい工場を見学し、役員たちに直に会うことで実態のある会社への帰属感をセールス担当者達に与えることができると感じました。
1928
写真は第 4 代社長ミルトン・ビーチが、Alligator® ロール キャリッジ レーシング マシンのデモを行っているところです。1928 年、ジョージ・パープルは簡単な手動マシンで大量のレーシングを取り付ける必要性に気付きました。ベルトを予めレーシングすることで、オリジナル装置の製造業者と大勢の消費者はメカニカル ファスナーの取付けをより効率よく行えました。
成長期 (1930 年~1970 年)
1930s
1930 年代に入ると、フラット搬送ベルトは V ベルトに置き換えられるようになりました。この移行により、Flexco はヒンジ式 V ベルト ファスナーと特殊な V ベルトの組み合わせを発表しました。Alligator® という強力なブランド名のもと市販されたファスナーは、オープン エンド V ベルトの結合方法としてすぐに認められ、現在に至っています。また長年にわたって、Alligator V ベルト ファスナーに関連した 20 件以上の特許を獲得しています。
1931
ヒュー・ビーチは第 3 代社長に選出されました。設立者 A. B.ビーチの長男として 1912 年に入社し、指導者になるために十分な実績を積みました。ヒュー・ジェイ・ビーチは Flexco を先導する「次の世代」の最初の社長として、大恐慌と第二次世界大戦の両方から会社を見通して、従業員の貢献努力も評価されるようにしました。こうした成長期を通じて、専門技術、強固なコミュニケーション努力、製品開発における革新を重視することが引き続き Flexco の原動力となりました。
1946
1940 年代になると幅広のコンベヤベルトがより一般的になり、安全かつ正確にベルトを切断するために改良された切断工具のニーズが明らかになりました。安全性と直線に切断する必要性への Flexco の答えとして、Alligator® ワイド ベルト カッターが開発、特許取得されました。現在生産するベルトのメンテナンス製品は今でも作業員の安全と効率性に重点を置いています。
1947
重搬送用の鉱山に適したファスナーの必要性は Flexco に商機をもたらしました。高速移動する、継続的な採炭方法には、簡単に延長できるけん引システムが必要でした。Flexco® 500 はヒンジ式ボルト ファスナーとして発売されました。完成したスプライスは、坑道で簡単に分離したり、再結合できるため、その場で矯正すればベルトを長くすることができます。また、鉱山周辺で重い機械をけん引することなく適用できます。圧縮グリップと大型のヒンジピンにより、ほとんどのベルトで最大のスプライス強度を実現します。後に 550 番と改名されましたが、この製品は現在でも建設用機器や、他のさまざまな一括けん引用途で使用されています。
1949
この写真は、ヒュー・ビーチとオハイオ州リバーサンドのメンテナンス担当者です。第二次世界大戦終了後、米国の州間ハイウェイ システムの開発では大量の砂と砕石が必要になりました。つまり、こうした素材の処理に必要なコンベヤが大量に必要になったのです。素材の摩耗特性が高かったことと、骨材産業の急激な成長が相まって、Flexco® ボルト ソリッド プレート ファスナーは大きなチャンスをつかみました。
1953
ミルトン・ビーチは 1923 年に機械製図技師として Flexco に入社し、製品とプロセスの改良に没頭しながら、社史において最も重要な期間をうまく管理しました。技術リーダーが従う基準を高く設定し、…「以前作っていたものと同等またはそれ以上のものを作る」ことを重視しました。1953 年に社長に就任し、1960 年代とその次の世代のリーダーシップの地固めをしました。
1958
Wedlok® V 型スプライスは、加硫加工用に設計されたベルト (従来のメカニカル スプライスを維持するために必要な交差糸のないベルト) における高張力のメカニカル スプライスのニーズを満たすために開発されました。Flexco のチーフ開発エンジニアのウィンディ・プレイは Wedlok 開発プログラムに深く関わっており、スプライスを取り付けている姿がこの写真に収められています。
1964
Flexco は初となる子会社 Tatch-A-Cleat® の支配的利権を購入しました。カリフォルニア州に拠点を置くベルトすべり止め製造業者は、ベルト関連製品における当社の関与を広げました。1987 年、Tatch-A-Cleat は Flexco の完全所有子会社となりました。
1965
Flexco は信頼性が高く、高品質な穀粒エレベータ バケット ボルトの必要性を認識しました。従来のノルウェー スタイル ボルトを低プライの合成繊維ベルトに互換するように再設計しました。
1966
設立者フィリップ・リナルド・シニアの義理の息子にあたるジョン・P・ラムジーは 1941 年に Flexco に入社し、1966 年に社長兼最高業務執行責任者に選出されました。継続的な製品開発と成長、セールス担当の手腕向上、作業場における技術の可能性の調査を通じて会社を先導しました。この時期の Flexco 経営陣、特にジョンは、製品ラインの拡大の必要性にすぐに気づき、社長在任中にエレベータ ボルト、シリコーン製ゴム切断潤滑剤、Tatch-A-Cleat® を製品ラインに加えました。ジョンは 1974 年に経営陣から退職しました。
1968
11 月の販売会議でフィールド セールス グループに新しい Clincher システムが発表されると、「1968 年は Clincher に一票を」が選挙年キャンペーンとタイアップした販促スローガンとなりました。Clincher は小さいプーリ径で作動する軽量合成カーカス ベルトのソリューションとして提案されました。完成したスプライスは、ステンレススチール製のステープルでベルトに固定された一式のヒンジプレートで構成されています。1977 年、Clincher ステープル ファスナー ラインは再設計され、Alligator® ステープルに名称変更しました。
新しい方向 (1971 年 1989 年)
1971
1971 年、工場と事務所はイリノイ州ダウナーズ グローブの 10 エーカーある敷地に移転しました。新しい施設の雇用により、フルタイム従業員が 150 名に増えることが予測されました。新しい施設には、空調、スカイライト、目の高さにある窓、広い通路が備わっており、Flexco の家族的な雰囲気を持つ、事務所と工場の両従業員用の共通ドアとカフェテリアがあります。1981 年施設の最初の重大な拡張工事が行われ、工場サイズは 155,000 平方フィートへと拡大しました。2 年後、Flexco 本社には新しいトレーニング センターが加わりました。
1972
1970 年代になると、石炭鉱業産業ではストレートワープ ベルトが広く受け入れられるようになりました。この時期、ストレートワープ ベルトのパイオニアであるベルト製造業者の 1 つ Uniroyal, Inc. ではリベットで装着されたファスナーを実験していました。ファスナー事業への参入を躊躇した Uniroyal はそのアイデアと製品を Flexco に提供しました。Flexco は設計をさらに改良した後、1972 年の Coal Show (石炭鉱業展示会) で R5 リベット ファスナーを発表しました。リベット ファスナーは、高い張力のもと、ストレートワープ構造のベルトで確実に機能するシンプルかつ速やかな取付けを実現しました。
1974
アルフレッド・E・グラディングは 1956 年に Flexco でのキャリアをスタートしました。1974 年に社長に選出されています。社長就任から 16 年間、研究開発部門を拡大し、さまざまな新製品の開発と発売を指揮しました。Flexco は設計と製品の両方でグローバルな方向性が必要であることを認識する中、製品開発技術革新を続けました。世界中を旅し、ビジネス関係を築くアルの初期のイニシアチブは、90 年代を特徴づける子会社買収の実現に役立ち、世界中の売上とディストリビューションの飛躍的な成長につながりました。アルは 1990 年に退職しました。
1976
R5 スプライスは炭鉱業界にとって素晴らしいソリューションであることを証明しましたが、リベットの打込みや固定の取付けプロセスが大変でした。Flexco は技術的な専門知識とお客様第一の視点から、予め組み立てられた独自のリベットを提供することでリベットの取付け作業を改善し、オンサイト設置時間の短縮を実現しました。リベットとパイロット釘、特殊な工具を組み合わせて、リベットが「自己固定」できるようにしたのです。これは 1976 年に特許を獲得した、Flexco の歴史で最も価値のある特許の 1つです。
1983
Flexible Steel Lacing (UK) Ltd. は Flexco 初の国際子会社として英国マンチェスターで設立されました。
1984
1984 年夏、フィリップ・S・リナルド Jr は 79 歳で退職しました。1930 年の入社以来、会計、財務、輸出部門で働いていました。最高財務責任者 (CFO)、取締役副社長、そして 4 名の歴代社長のチーフ アドバイザーとして、長年勤務しました。1940 年代初期にはヒュー・ビーチと協力し、輸出関係の構築に従事し、その後引き続き 50 年以上に渡り輸出や国際取引に関与しました。退職時、Flexco は 75 以上の国に積極的に輸出を行っていました。
1987
Gator® のワイヤー フックとレーサーの製品ラインは 1987 年の特別中間セールス会議で公式発表されました。Flexco はドイツの Wilhelm Sülzle Company と提携し、成功を収めた Alligator® の登録商標をひねった「Gator」ブランド下の Anchor 製品ラインをプライベート レーベル化しました。
1987
Flexible Steel Lacing NZ Ltd. は Flexco 第 2 の国際子会社としてニュージーランドのオークランドで設立されました。2001 年、オークランド倉庫の閉鎖に伴い、フィールド セールスマンはオーストラリア シドニーにあるリージョナル セールス マネジメントの管理下に入りはじめました。
グローバル基盤 (1990 年~2007 年)
1990
ピーター・M (ミック)・ラムジーは 1990 年に Flexco の第 7 代社長に就任しました。約 35 年間 Flexco で働いていたミックは、先代 3 名の社長と同様に、米国外の製品販売の可能性を重視していました。2001 年 5 月の年次株主総会で、経営責任業務から退職しました。
1991
ドイツから Anchor ベルト フックの輸入を始めた 4 年後の 1991 年 4 月、Flexco と Wilhelm Sülzle GmbH は Anker-Flexco と呼ばれるジョイント パートナーシップを結成しました。施設はドイツのローゼンフェルトに所在します。
Flexco の 4 番目の国際子会社 Belle Banne (Australia) Pty. Ltd が結成されました。買収には Belle Banne プーリ ラギングとベルト クリーナー製品ラインが含まれていました。これらは現在さまざまな商品名で世界中で市販されています。子会社は Flexco (Aust) Pty. Ltd. と呼ばれ、オーストラリアのニュー サウス ウェールズ州ボウルクハム ヒルズに所在します。
1992
1992 年 4 月、Flexco第 5 の子会社 Flexible Steel Lacing (S.A.) (Pty) Ltd. が南アフリカ共和国で結成されました。
Flexco は 1947 年には、メキシコに代理店を持っていました。1992 年、Flexco の子会社として Flexco de Mexico SA de CV がメキシコ シティに結成されました。
1994
Flexco® ステープル ファスナーが発表されました。ステンレススチール製の幅の狭いプレート ファスナーは機械処理され、腐食しやすい鉱山環境において長い耐用年数と耐磨耗性を実現するソリューションを提供します。幅が狭く、丸みを帯びたループはヒンジピンの寿命を延ばし、プレートの面取りされた縁により、ベルト クリーナーのトランジションが円滑に行えるようになります。
1995
この時期の最も重要な開発の 1 つは Alligator® Ready Set™ ファスナーシステムでした。Clincher や Alligator ステープル ラインではステープルを個別に装着するのに対し、Ready-Set ファスナーはトップ プレートにステープルがあらかじめ打ち込まれています。ステープルをベルトに打ち込むだけで、スチール プレートのスプライスは「完成」します。Ready-Set については米国や海外で 1995 年に特許を取得し、現在は Flexco で最も売上のある製品ラインの 1 つとなりました。
1995 年、Flexco はミシガン州グランドラピッズにある Clipper Belt Lacer Company を獲得しました。パートナーシップはお互いの利益になりました。Clipper は資金豊かな世界規模の販売組織に加わることができ、Flexco は適応性の高いワールド クラスの製造工場を手に入れました。
1998
1998 年、Flexco はグランドラピッズ工場で Belle Banne スタイル ベルト クリーナーの製造を開始しました。一連の製品は、ベルト トラッカー、プラウ、ベルト クリーナー ラインの一部を含むベルトコンベヤ製品グループのために想定されました。この展望は、ベルトコンベヤ製品ラインの生産とマーケティングが 2006 年の総売上の 25% を超えた時点で現実となりました。
1999
ラウンドヘイベイラー機向けの高張力ファスナーとして開発された Alligator® リベット ファスナーは 1999 年に発表され、生産設備機は 2 箇所のオリジナル装置メーカーに配置されました。
Flexco は 1999 年に Jackson Fastener Ltd. を獲得しました。パワー搬送ベルト用のファスナー製造業者として 1879 年に設立した Jackson Fastener Ltd. は、獲得時にはエレベータ ボルトと Flexco® ソリッドプレート ファスナーの複製品を製造していました。
2001
ジェローム・S・ポールソンは、2001 年に第 8 代社長に選出されました。Flexco での長年におよぶさまざまなキャリアにおいて、ジェリーはイノベーターであり、変革推進者でありコーチでした。良き師であったポール・リナルドを真に反映したジェリーは、他者を力づけることに最大の達成感を得ました。2005 年 5 月 7 日、ジェリー・ポールソンは退職しました。
イリノイ州プレーンフィールドの Parramatta Group は、北米のベルトコンベヤ製品の設計、エンジニアリング、マーケティングを担う個別部門として設立されました。2004 年、オーストラリアの Tasman-Warajay Company からの Controlled Flow Material Transfer System™ 技術を導入する北米アメリカ部門となりました。
2003
Flexco は、オーストラリアのクイーンズランドの、制御フロー コンベヤ トランスファー シュート技術を専門とする設計・製造会社 Tasman-Warajay を獲得しました。Tasman-Warajay は 1983 年より、オーストラリアで最も多忙な貨物搬出港に占有技術によってダストを排除し、生産性を高めるシステムを配置していました。
1994
1994 年、革新的な新バージョンの Flexco® ソリッドプレート ファスナーが発表されました。Flexco VP™ と呼ばれるこの製品は、一連のボルト ソリッド トップ プレートを 6 インチ幅のストリップに接合しています。スカイビングされたコンベヤベルトに取り付けられると、「皿穴」スプライスにベルトにぴったりとくっつき、円滑なトップ面を実現します。
2004
Controlled Flow Material Transfer System™ は 2004 年に北米の選炭工場と石炭火力発電所に導入されました。このシステムでは、過剰なダスト、漏れ、シュートの閉塞に対応する世界で実証されたソリューションが提供されました。今日、このシステムは世界中で取り付けられています。
2005
2005 年、リック・ホワイトは第 9 代社長に選出されました。リックは 1986 年に Flexco 初のマーケティング マネージャーとして入社しました。1990 年代はミック・ラムジーとともに国際市場の開発に取り組んでいました。リックの社長就任時期に、Flexco の総売上はおよそ 10 倍の成長を遂げ、国際売上については、総収入の 12% から 50% に伸びました。
2007
2007 年 3 月 27 日、Flexco は創業 100 周年を迎えました。
次世代 (2008 年~現在)
2008
2008 年初頭、東南アジア地区、台湾、日本、韓国の市場に対応する Flexco-Singapore が設立されました。Flexco は国際経営活動の拡大を続け、同じ年に中国上海のソンチヤン地区とチリのサンティアゴに製造・ディストリビューション施設を開設しました。
Flexco は 152,000 平方フィートあったグランドラピッズの製造施設に、新たに 60,000 平方フィートの敷地を追加しました。拡大には、3,500 平方フィートのトレーニング センターも含まれていました。
2009
Flexco は 10 番目となる子会社をインドに開設しました。チェンナイに所在する完全所有子会社は、現地での在庫の維持と販売・ディストリビューションのネットワークの拡大という商機をもたらしました。Flexco は、現地での Flexco 製品販売に対応する最初の 2 社のディストリビュータと提携した 1996 年に、インドの市場開発に乗り出しました。
2009 年、Flexco は特許を取得した「ピボットおよびティルト」メカニズムを採用した PT Max™ ベルト トレーナーを発表しました。従来のベルトの向きを調整するだけのピボットのみの装置とは異なり、PT Max は特殊なセンサーを活用してベルトの逸れを検出し、正常な位置に戻します。この技術は広く受け入れられ、Flexco は PT ファミリーに PT Smart™、PT Pro™、PTEZ™ を継続的に追加しました。
2009 年 4 月 16 日、Flexco はニューヨーク州ウォーターヴリートにある Troy Belting との提携 100 周年を迎えました。 Flexco と Troy は、主要業界の連携を維持してお客様のニーズにより効果的に対応することで、それぞれの設立者のコア バリューを守っています。Flexco がビジネスの次の世紀に向かうなか、この連携はさらに次の 100 年と続くことでしょう。
Flexco は、製品群にエンドレス スプライシング加工製品の Novitool® ラインを追加しました。この製品ラインには、特許を取得した革新的な、統合型空冷技術搭載 Aero® スプライスプレス、Ply 130™ プライ セパレータ、Pun M™ モバイル フィンガー パンチ、特許取得済み Amigo™ モノリシック スプライスプレスといった、シームレス & エンドレス スプライスを作成する分割、パンチ、スプライス用の完全補助工具が含まれます。
2010
Flexco 製品は、正しく取り付けられ、メンテナンスされているときに最も効力を発揮します。Partners Plus プログラムの立ち上げにより、Flexco は主要ディストリビュータと専門知識を共有し、正しい取付け、修理などのトレーニングを提供することで、共通のお客様が専門家によるローカル サービスとサポートが受けられるようにします。
クリーナーの正しいメンテナンスが、効率的で長持ちする性能を実現する鍵となることを知っている Flexco は、新機能の特許取得済みサービス アドバンテージ カートリッジを採用した MHS ベルト クリーナーを設計しました。スライド式設計で、アセンブリ ポール全体やブラケットをコンベヤから外すことなく、数分でブレードが交換できます。現在、Flexco のクリーナーの多くがこのカートリッジの機能強化を採用し、メンテナンスの簡素化を実現しています。
2013
2013 年より前は、ランドリー テープを接着で補強し、ワイヤー フックを取り付ける 2 つの作業工程をしていました。Clipper® ランドリー パッチ ファスナーシステムの導入により、1 回の取付け工程でファスナーを取り付けると同時に、パッチ内で接着剤を加熱し、使用できるようにします。何時間もかかっていたランドリー テープの接着が、今では Clipper® パッチ プロセスにてたったの 20 秒で完了します。
2015
Flexco は Flexco 大学オンライン セグメント (flexcouniversity.com) を立ち上げました。オンライン トレーニング ツールにより、ユーザーはコンベヤの基本からベスト プラクティスやトラブルシューティングまで、あらゆるレベルのベルトコンベヤ トレーニングにアクセスできます。 正解中の Flexco 専門家による定評のあるオンサイトやクラスでのトレーニング プログラムの提供に、オンラインが加わりました。
Flexco は FGP 食品等級プレクリーナーを導入しました。食品加工用途の最高基準を満たすため、FDA の承認と、USDA の保証を受けた FGP は、通常のクリーニングと除菌を行う際に 1 分未満で取り外しできます。
Flexco はミシガン州グランドラピッズの製造工程にウレタン対応機能を加えました。装置とリソースへの投資により、Flexco は最高品質のウレタン クリーナー ブレードを市販する機会を得ることができました。ブレードの成功により、Flexco は製造機能への投資を続け、他の革新的なカスタム ウレタン製品を世に出しました。
2016
Novitool® Aero® スプライスプレスが大幅に進歩したことで、Flexco は独自の設定管理ツールを搭載した空冷式プレスをどこよりも早く市販することができました。ユーザーは、エンドレス スプライス設定をインポート、作成、または変更でき、特定のスプライス パラメータでオペレーター間、工具間で一貫した高品質のスプライス性能を実現します。
Flexco はコンベヤのヒッチとトランスファーで製品を円滑に搬送させるように設計した 2 つのトランスファー ソリューションを導入しました。特許を取得したセグメンテッド トランスファー プレートとヒッチ ガードは、小荷物の処理作業における製品や異物のトランスファー部での詰まりを防ぎ、製品やベルトの損傷を軽減し、効率を高め、コストのかかるダウンタイムを排除するよう設計されています。
2017
Flexco は中国で新製品の Flexco® XP™ ステープル ファスナーシステムを発表しました。特許を取得した XP ステープル システムは、強化された油圧式アプリケーター ツールと市販される中で最も長い耐用年数を提供するステープル ファスナーとヒンジピンを組み合わせています。織物 PVG/PVC とプライ ベルトで使用するために設計された Flexco XP ラインはすぐに拡大し、手動アプリケーター ツールと複数のファスナー サイズが含まれるようになりました。また現在では最も過酷な炭鉱用途向けに世界中で販売されています。